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民族を愛するとはどういうことなのか
わが民族は少なからず民族虚無主義者がいる。その理由は朝鮮民族・朝鮮半島の抑圧された悲惨な歴史があるからだ。それを直視できず目と耳を塞いでしまう。在日同胞の中には当事者だという客観的事実もわからず民族反逆者に転落する者もいる。
チュチェ思想はそのような事大主義・虚無主義・敗北主義的な考えを捨て、われわれ朝鮮民族は主体(チュチェ)的に生きていこう、外部勢力の干渉を受けずに主体的に発展していこう、という思想である。朝鮮人がつくった朝鮮人のための思想である。
チュチェ思想の変質 首領絶対主義に反対する
人間のための発展哲学であるチュチェ思想を変質させ個人独裁に利用、国を私有化し停滞させた金正日
元朝鮮労働党国際担当書記で脱北者の黄長燁氏の証言を引用する。
「それまでは、政権は労働者階級にあり、労働者階級で最も先進的な先方部隊が共産党で、政権は共産党にあるとされた。共産党のなかで最もすぐれた共産党員が首領だ。首領が共産党を代表して独裁することができるとなっていた。政権が労働者階級にあり共産党にあるとはマルクスが話したことだ。しかしそれをスターリンが一歩、前進させて首領が独裁することができることになっていた。マルクス、レーニンは首領を認めなかった。しかしスターリンは共産党の名において首領が独裁できるといった」
「金正日はそれを変えた。《首領あっての共産党である》《共産党は首領が自分の意志を実現するための道具だ》と逆転させ、わい曲した。共産党あってこそ労働者階級がありうるという風に。共産党のない労働者階級はまだ労働者階級ではなくて可能性として、潜在的な労働者階級にすぎない、労働者階級の独裁のもとで、その領導のもとにのみ人民大衆がありうる、と。それまでの労働者階級の領導を受けない人民大衆は材料としての人民大衆であって歴史の主体としての人民大衆ではないという風に。これは封建的家父長制の考え方、つまり父母あってこその子供たちであり、子弟は父母の所有物だと考えること。スターリン的独裁に封建的な専制主義を結びつけた結果だった。それを考えたのは金正日だった。彼はそれを徹底的に制度化し生活化し、絶対的なものにした。私はこれを首領絶対主義と名付けた。その点でスターリン主義と金正日独裁は異なる」
「一般住民に残されている儒教的な精神は利用した。儒教の本質は忠誠と孝行だ。 忠誠と孝行を首領に集中させて、首領こそがすべての住民の父親であり父母であり、指導者だからすべての党員と住民は首領に対して絶対的に忠誠を尽くし孝行を尽くさなければならないと。とにかく、ほかの思想はすべて否認され、首領絶対主義が強化された」
「伝統的な考えからみると封建的な思想に結びつけたといえる。北朝鮮の人々に残されていた封建的な思想を利用した。つまり民主主義の平等思想が発展していない状況のもとで独裁的な利己主義が発生した。儒教的な影響といえば中国もそうだが、金日成ほどではなかった。毛沢東も周恩来も知識を持っていた人たちだ。だが朝鮮労働党は違う。ただ一人の大学卒業生もいなかった。文化的水準がほかの共産党に比べてとても低かった。民主主義的な基礎がずっと低く、それが封建的思想と結びつく背景だった」
「社会保障を受けている人、家庭婦人、そのすべてが組織生活をする。これらは金正日がはじめたことだ。金日成時代にはなかった。私はソ連で暮らしたことがあるけれどもソ連にもなかった。スターリンは独裁はしたが、私有はしなかった。必ず党会議を開いた。金正日は開かない。金日成も独裁はしたが、金正日は段違いだ。十倍は強化した」
「なんとかして改めようと、緩和しようと努力したけれども、不可能だった。金正日が政権をとった後、独裁は十倍も強化され、妥協せず呵責なく徹底的に行われた。金正日は人間ではないと思う」
―久保田るり子 (2008) 「金正日を告発する 黄長燁の語る朝鮮半島の実相」 産経新聞出版
1986年に金正日の唱えた「社会政治的生命体論」
「人民大衆は、党の指導のもと領袖を中心に組織的、思想的に結合することにより、不滅の自主的な生命力をもつ一つの社会的政治的生命体をなします。個々の人間の肉体的生命にはかぎりがありますが、自主的な社会的政治的生命体に結束した人民大衆の生命は不滅です」
「領袖は社会的政治的集団の生命の中心であるのですから、革命的信義と同志愛は、領袖を中心としたものとなるべきです」
「領袖は社会的政治的生命体の最高頭脳であり、集団の生命を代表しているため、領袖への忠実性と同志愛は絶対的で無条件なものとなります」
―金正日 (1986)「チュチェ思想教育における若干の問題について 朝鮮労働党中央委員会の責任幹部との談話」
事実として、黄長燁氏の証言で明らかになったことは、金正日は愛国者ではなく、自分さえよければ人民が犠牲になっても気にしない利己主義者・民族反逆者である。唯一評価できる点は核・ミサイル開発を進めたことのみである。
現体制にも引き継がれている首領絶対主義は「革命の建設の主人は人民大衆であり、革命と建設を推し進める力も人民大衆にある。自己の運命の主人は自分自身であり、自分の運命を切り開くのも自分自身である」というチュチェ思想の定義とかけ離れており相容れない。
つまり首領絶対主義・社会政治的生命体論はチュチェ思想ではないと結論する。
将来のビジョンとわれわれがやるべきこと
当ブログは朝鮮民主主義人民共和国、朝鮮労働党を支持するが、個人一族独裁・世襲制に反対し、核武装による自衛・改革開放・集団指導体制・連邦制を経て北主導による祖国統一を支持する立場をとる。
中国共産党が毛沢東時代を総括したように、朝鮮労働党も金正日時代を総括しなければ祖国の進歩はない思う。また祖国が発展するために同じ社会主義国かつ友好国で改革開放し経済発展した中国・ベトナム・シンガポール等から学べることが多いはずだ。チュチェ思想は鎖国思想ではない。
「チュチェを確立するからといって、排外主義的な立場にたって外国の科学技術を排斥してもなりません。われわれは、古い社会から引き継いだ幾世紀ものたちおくれを史上空前の短時日に一掃して、政治、経済、文化のすべての分野で飛躍的な発展をとげましたが、科学と技術の面ではまだおくれています。われわれは進んだ科学技術を積極的に習得して自分のものにこなし、わが国の科学と技術を一日も早く世界的な水準にひきあげなければなりません」
「われわれが反対しているのは、自分の国をみくびってよその国のみをあがめる民族虚無主義と、わが国の実情は考慮しないで外国のものをうのみにしようとする教条主義的な態度であって、決して先進的科学技術の習得に反対するのではありません」
「チュチェを確立することと、先進的な科学技術を習得することとは決して矛盾しません。先進的な科学技術を極力とりいれて国の科学技術をすみやかに発展させてこそ、人々の頭に残っている事大主義思想を根こそぎにすることができます」
―金日成 (1975)「わが革命におけるチュチェについて 1」 外国文出版
われわれがやるべきことは現実から目と耳を塞ぐのではなく、また朝鮮総聯の大幹部のように上からの伝達に無条件に万歳するだけでもいけない。外部敵対勢力・民族反逆者の利益のために隷属せず、各々が主体的に自分の運命を切り開いて生きていこう。
なぜ生きるのか、民族を愛するとはどういうことなのか
人間は皆幸せになるために生まれてきて、それを実現できる潜在能力がある。しかし自分を信じることができず虚無主義的に生きている人もいる。人間は究極的には平等である。わが民族の悲惨な歴史と現状が虚無主義に陥る理由かもしれない。中世の先祖たちはわれわれに利益を与えてくれなかったかもしれない。だからといって虚無主義的に過去に生きていてもしょうがない。未来は変えられる、いくらでも発展することができる。われわれは皆豊かになることもできるし、皆幸せになることもできる。そして未来の朝鮮人の「過去」、つまりわれわれの「今」「未来」をより良いものに発展させていくことができる。そのために生きる、それが民族を愛するということだと考える。
最初からマクロなことは考えなくていい。まずはミクロな視点で自らの発展を考え、一つ一つ実現していこう。個々が発展すれば全体も発展する。朝鮮民族は発展性のある民族だと確信している。