目次
点と線がつながる
家族主義・儒教思想が「朝鮮」の原体験
今回は筆者がチュチェ思想にのめり込んだきっかけを話したいと思う。
筆者は在日3世で日本人社会で育った。名前は、「差別はなくなった」という両親の判断で生まれたときから本名(民族名)のみだった。実際差別はなかった。
朝鮮語は話すことも読み書きもできない。一時学習していたが、挫折して今はやめてしまった。
1世の祖父は南朝鮮の農村から兄をたよって日本に来た。亡くなってだいぶ経つ祖父のことは尊敬していたが、小学校も出ておらず家族主義・儒教思想が色濃くとても立ちおくれた思想の人だった。祖父は民団の会員だった。
祖父を頂点にした家族主義・儒教思想の色濃い家族・親族関係が筆者の「朝鮮」の原体験だ。
封建主義はトップ以外皆が不幸になる
祖父・祖母が生きていた頃は祭祀(チェサ)などでよく親族の集まりがあった。家族・親族はガチガチの儒教的な序列社会でとても息苦しかった。親族が集まると日本の都市の中にとつぜん閉ざされた小さな村が現れたようだった。
生まれたときから家族主義・儒教思想にどっぷり浸かった一族は、主体性がなく、後進性や発展性のなさに疑問ももたずに生きていた。
祖父・祖母が亡くなった後、無視できない矛盾に我慢できず、筆者は一族から出ていった。
チュチェ思想との出会い
立ちおくれた思想と決別したのはいいが、筆者は「朝鮮人の誇りとはなにか」「朝鮮人としてどう生きていけばいいのか」と自問しつづけ解答が出せないまま「主体」がない状態で生きてきた。
10~20代の頃などは、在日3世だし自分が「韓国人」ということなどあまり考えずにいこうと逃げに走った時期や、事大主義・虚無主義的だった過去もある。
そして26歳の時北朝鮮に関心をもち、冷やかしのつもりで金日成著「チュチェ思想について」を手にとった。
この時点で筆者にとって「北朝鮮」は危険な個人独裁国家で、中国の言いなりの子分の国という間違った認識だった。支持するなど考えたこともなかった。
「北」は中国の子分、「南」は日本の後に来たアメリカの子分。
当時の筆者は、祖国はなんて情けないんだ、自分は祖国と関係なく生きよう、とまるで他人事のような態度で、とても恥ずかしく情けない人間だった。
まず「わかる」 理論は後づけ
冷やかしのつもりで手にとった「チュチェ思想について」だったが、読むにつれて、事大主義・立ちおくれた思想への批判や主体性の重要さ、文章から伝わってくる金日成主席の熱意。外部勢力の干渉・侵略に対する牽制。
今までずっと求めていた朝鮮人のための思想がこんな昔にすでにあった。それも朝鮮人自身によってつくられていたとは、と衝撃をうけた。
読みはじめてすぐに「わかった」。「点」として頭の中に点在していた、今までの経験や思考がすべてつながり、内容にすぐに共感し理解することができた。
まず肌で「わかる」。
その後は「わかったこと」を言語化し、理論的な根拠と照らし合わせて、哲学的・理論的理解を深めていく研究を続けている。
「歴史」と「思想」
ここで金日成総合大学・哲学部博士院卒、朝鮮民主主義人民共和国哲学碩士、朝鮮大学校・政治経済学部の助教である宋明男(ソンミョンナム)氏の記事を引用する。
なぜ「朝鮮」なのか
「『麦の穂をゆらす風(ケンローチ監督)』という映画がある。誌面の関係上、内容は割愛するが、そこには我々を取り巻く現状が集約されている」
「絶え間ない暴力、侮辱と恨で塗られた民族史。そして分裂。そのような歴史を繰り返してきたがゆえ、列強の角逐の戦場となることを甘受せねばならなかった朝鮮民族である」
「今を生きる我々のルーツは間違いなくここにある」
「暴力によって捻じ曲げられ、分断と分裂を強要された歴史。この十字架ともいえる宿命を抱き、民族受難の100年史が落とした陰に生きてきた我々であった」
「この歴史に今でも抗っているのは、まぎれもなく朝鮮である」
(中略)
「さて、一度問うてみよう。『あなたは誰だろう』。自問していただきたい。『私は誰だ』と」
「私は、この歴史から目を背けない。もちろん目を背けることだってできる。しかし、私を育て守ってきた先代たちも、そして今、後代の未来を守らんとする私も、この歴史を自分のものとして変革しようとしている」
―「セセデ」2019年1月号「チュチェ偉業を知る」宋明男
的を得た素晴らしい見解だ。
英国からのアイルランド独立戦争と内戦を描いた「麦の穂をゆらす風」は筆者も好きで、今までに何度もみた。長い間抑圧された歴史などアイルランドと朝鮮はよく似ている思う。
「朝鮮民族の歴史」から生まれた「チュチェ思想」。この二つはやはり切り離せない。世界中どこへ移民しても「歴史」から逃れることはできない。そして朝鮮民族を解放・発展させるのは間違いなく「歴史」から生まれた「チュチェ思想」だ。
われわれは生まれつき「歴史」を背負っているからこそ、どこの国で生まれ育っても朝鮮人であり、チュチェ思想が、頭ではなくまず肌で「わかる」のだ。