目次
封建主義はチュチェ思想の闘争対象
立ちおくれた思想は国を滅ぼす
1958年11月20日に「全国市・郡党委員会の扇動員講習会」でおこなった演説にて金日成首相(当時)は封建王朝・李氏朝鮮(大韓帝国)に対する見解を述べている。
「諸外国が、はやくからブルジョア革命をおこない、技術的に発展した豊かで強力な国をきずいていたときに、われわれの祖先は、冠をかぶりろばに乗ってあるいていたし、詩歌(しいか)を詠(えい)じ、酒をくみかわして、ただいたずらに日々をおくりました」
「よその国では工場をたて、商品をつくり、生産力を発展させていたとき、われわれの祖先はあいかわらず農業をいとなみ、たちおくれた状態におかれていました。われわれの祖先がわれわれに残したものは、たちおくれと貧困でありました」
「ヨーロッパの国ぐににいってみると、どこでも道路はりっぱで、農村でもほとんどがれんが建ての家に住んでいますが、それはこれらの国ぐにがはやくから生産力と文化を発展させてきたからです」
「ところが、われわれは先祖代々ひきついできたあばら屋にしか住めませんでした。われわれの祖先は、自分の力で地下資源ひとつ開発できなかったし、工場ひとつたてることができませんでした。このように貧しくたちおくれた暮らしをしていた状態のもとで、わが国は日本帝国主義者に占領されてしまったのです」
―金日成 (1973)「社会主義的教育論」未来社
「韓日併合」は日本帝国主義の国防・国益のための政策であり、日本の保守派からきこえてくる「朝鮮のために」「朝鮮をロシアの南下政策から守ってやった」「朝鮮を近代化してやった」「だから感謝しろ」といった見解は、副次的な事実もあるが本質ではない。あくまで日本自身の国益のための動きであり、朝鮮への侵略・植民地化を美化している。
朝鮮と日本は歴史的にも違う国・違う民族であり、親子兄弟ではない。
戦争と国家
外部勢力の侵略が悪なのは当然なわけだが、亡国の根本的な原因はわれわれ自身にある。
引用にあるとおり金日成主席は封建主義と「農本主義」をとっていた国王・支配階級である両班(ヤンバン)たちの間違いを指摘・批判し教訓としている。
「戦争」はこちらが望まなくとも向こうからやってくるものだから、「国家」はすべてのリスクを想定し、備えなければならない。この教訓は朝鮮民主主義人民共和国の対外政策に反映され、核・ミサイル開発の根拠となる。
またこの理論を「経済」「個人」におきかえた場合
「不況」はこちらが望まなくとも向こうからやってくるものだから、「個人」はすべてのリスクを想定し、備えなければならない、となる。
われわれ在日朝鮮人がやるべきことは「備え」である。「備え」とは武装することであり、われわれにとって武装することとはインテリ化と資産形成(経済的発展)することである。
全民族の「インテリ化」と「資産形成」を各自が「主体的」におこなう。これが亡国に対する備えと発展のための条件である。
チュチェ思想=民族主義なのか
民族性と民族主義
朝鮮民族は一般論として、民族主義的であり排外主義的な面もある。
例えば在日朝鮮人もそうだが、世界中に移民した朝鮮人は各国でコミュニティを形成し家族・同胞で固まって生きている人が多い(朝鮮人にかぎった話ではないが)。そのなかで他民族と折り合わず衝突するケースもあった(1992年のロス暴動など)。
なぜ朝鮮民族は他民族とうまく交われないのか。この民族性の根源はやはり朝鮮の歴史にあると考える。
朝鮮半島の歴史は外部勢力の干渉・侵略の歴史であったため、よそ者は害悪を持ち込む、外国人=敵という認識がわれわれに民族性として残っているのだと筆者は思う。20世紀になりチュチェ思想が生まれたのもやはりこういった歴史的背景があるからだといえる。
国家イデオロギーと民族主義
では国家イデオロギーとしての民族主義はどうか。1970年代後半に出版された、金日成主席の著作から引用する。
「われわれがチュチェ思想をかかげるのは、決して民族主義に進もうということではありません。われわれのいうチュチェ思想は、国際主義と矛盾しないばかりでなく、かえって国際主義を強めるためのものです」
「食糧問題を例にとってみましょう。われわれが食糧を自給自足できず、他の社会主義国へいってしきりに貸してくれと言えば、どういうことになるでしょうか?それだけ、その国の人民生活に支障を与えることでしょう。しかしわれわれが農業をりっぱに営んで、米を借りにいかなければ、他の国でもわずらわしくなく、その国の人民生活にも支障を与えず、ひいては社会主義陣営の食糧事情がいっそう良くなるでしょう」
「それゆえ、われわれが自主的な農業経済を建設するのも民族主義ではなく、かえって国際主義を強めるのに貢献するものであります」
―金日成 (1979)「チュチェ思想について」白峰文庫
金日成主席は共産主義者であり、目標は朝鮮における共産主義社会の実現と国際革命勢力との連帯による帝国主義の打倒と世界革命である。
金日成時代の朝鮮・チュチェ思想は民族主義ではなく、上記のとおり社会主義陣営を構成する一国として国際主義に貢献しているという立場だった。
1991年のソ連崩壊による共産主義の敗北により、朝鮮の国家イデオロギーは「マルクス・レーニン主義」「共産主義」から、金正日時代の「先軍思想(軍国主義)」、金正恩体制の「金日成・金正日主義(個人崇拝+先軍思想)」へと移行していった。現在の朝鮮の国家イデオロギーは「国家社会主義」「民族主義」的であるということができる。
また朝鮮・チュチェ思想はファシズム(結束主義)だと勘違いされている人がいるが、朝鮮・チュチェ思想はファシズムではない。
ファシズムは独裁制により国民・民族を結束して外部へ侵略・拡大する帝国主義的な立ちおくれた思想・イデオロギーであり、外部勢力の干渉・侵略からの自衛のために発生した朝鮮の民族主義・チュチェ思想とは異なる思想だ。
また地政学的に大国にはさまれた小国である朝鮮は歴史的にも専守防衛であり、朝鮮民主主義人民共和国の軍備・核武装も周辺国に対する主体的な自衛の手段である。
共産主義とチュチェ思想
金日成時代の国家イデオロギーは共産主義社会の実現が「目的」であり、チュチェ思想は朝鮮における共産主義社会実現のための「手段・方法論」という位置づけであった。
そしてソ連崩壊により共産主義は敗北する。
- 1991年12月、ソ連崩壊
- 1992年4月、憲法改正により「マルクス・レーニン主義」を削除
- 1994年7月、金日成主席死去
- 2009年4月、憲法改正により「共産主義」を削除し、「先軍思想」を明文化
チュチェ思想は人間の普遍的な本質を解明した哲学で、人間の解放・発展のための「手段・方法論」であり、人間の「目的」にはなりえない思想である。
よって「共産主義」が敗北しても、「弁証法」がなくならないように、普遍的な人間哲学である「チュチェ思想」もなくならないのである。
チュチェ思想は鎖国思想ではない
再び金日成主席の著作「チュチェ思想について」から引用する。
「同志たちは、事大主義に反対し、チュチェを確立するための闘争をいっそう強めなければなりません」
「だからといってわれわれは、鎖国政策を実施するのでも、関門主義をとろうというのでもありません。われわれは、外国のものでも良いものは利用しなければなりません。外国の経験を検討してみて、われわれに適しなければ捨て、適するものはうけいれるべきです」
「他人のものを頭から崇拝し、自分のものをすべて見下げるのが事大主義であって、すぐれた経験を外国と互いに交換し、自分に適した科学技術などをうけいれるのは事大主義ではありません」
「しかしわれわれは必要であれば他人のものもうけいれるべきだが、できるだけわれわれのものを重んじなければならず、つねに事大主義を警戒しなければなりません」
「また事大主義に反対し、チュチェを確立せよというからといって、同志たちはこれを誤って解釈し、復古主義に陥ってはなりません。復古主義とチュチェとはなんのゆかりもありません」
金日成 (1979)「チュチェ思想について」白峰文庫
チュチェを確立するということは、バランスがとれている状態になる、ということだと思う。
主体性を持ちながら世界・社会との整合性をとる。矛盾が生じれば弁証法的に解消し発展していく、極端に偏っていない状態。これがチュチェを確立するということだと筆者は考える。